日本から世界まで。さまざまなUD活動を紹介 ユニバーサルデザインの今

ユニバーサルデザインの取り組み事例を3つに分類してご紹介。
街づくり、モノづくり、ヒトづくり。いずれも連関していますが、興味のある分野から、ぜひご覧ください。

絶対美の世界
松本民芸家具が求める物と心の調和

曽川 大/ユニバーサルデザイン・コンソーシアム研究員

取材協力:(株)松本民芸家具 常務取締役 池田素民氏
写真左:歴史の集積から生まれた実用美。使い込むほど風格と味わいを増す

歴史の集積から生まれた実用美

民芸運動との出会い

 ここに一冊の本がある。『松本民芸家具』。著者は創立者、池田三四郎氏だ。一読しただけで柳宗悦(1889〜1961)が始めた民芸運動に全人格的に影響を受けたことがわかる。創立者の孫で同社常務取締役の池田素民さんは語る。「柳先生が亡くなった夜、祖父は白装束で白鞘を持って父の前に現れました。切腹をするから介錯せよと言うのです。師が死んで弟子が生きていられるかとの覚悟だったと聞いています」。家族で取り押さえて事なきを得たが、いかに柳氏が精神的な支えであったかを物語るエピソードだ。
 松本には350年以上の伝統をもつ木工文化があった。松本城築城の際に全国から集まった大工たちがそのルーツだ。竣工後に定住し、建具や家具で生計を立てる者たちが技術の発展に貢献した。和家具は明治から大正にかけて最盛期を迎えたが、戦争の影響で衰退の道を辿る。柳宗悦の説いた民芸運動との出会いにより、池田氏は衰退してゆく松本の家具作りの伝統に歯止めをかけようと立ち上がった。全国屈指の木工技術を継承させるため、残り少なくなっていた地元職人たちを説きに説いた。伝統は過去の蓄積の上のみに成り立つもので、一度途切れてしまうと取り返しがつかなくなるためだ。
 池田氏はその熱意と民芸論に感銘を受け、木工技術を家具に生かす道を選んだ。ただし和家具ではない。戦後生活様式は西洋化しており、テーブルや椅子の生活文化が広がると考えたためだ。早速仕事にあぶれていた和家具の職人に声をかけ、暗中模索の中で家具の製作を開始した。しかし、職人には未知の領域である。茶箪笥と食器棚の区別もつかなかった。そこで指導の手を差し伸べたのが柳宗悦や浜田庄司、河井寛次郎といった民芸運動の先達者たちだった。再三にわたり松本を訪れ、何をどう作ればよいのか指導を惜しまなかった。

苦難の道のり

「祖父が最も苦労したのは職人たちの意識変革でした」と池田素民さん。不景気の時代、職人は工賃を叩かれると手を抜いて早く作るようになる。松本の職人にはその性癖が染み付いていた。そこに池田三四郎氏は手間隙をかけ、技術の粋を尽くすことを要求した。
 職人たちの姿勢を正すためには手荒なこともした。工場の真ん中で製作したばかりの家具をハンマーで叩き壊すことは日常茶飯事だった。約束どおりに組まれていない部分が出ようものなら、その職人は皆の前で罵倒されることになる。当時の職人はプライドが高くて気が荒い者が多かったので、懐に出刃包丁を隠して自宅で待ち構え、刺し違えて自分も自害しようとした者もいたという。それでも池田氏は信念を曲げなかった。なぜ自分の技術を安売りするのかと叱咤激励し、職人たちの意識を変えていったのだ。

英国ウィンザーチェアと李朝家具から体得する実用美のエッセンス

 通常、家具製作では人体を科学的に分析する人間工学のアプローチを取る。ところが池田氏の手法は違った。いいモノを作る最善の道は、過去の人々が長い歴史の中で作り続けてきたものを真似て体得することだと考えた。松本民芸家具ではこれを習作と呼ぶ。
 例えば16世紀に英国で生まれたウィンザーチェアは、数多くの家具が淘汰された中、本物として生き残っている。習作ではこうした名品を集め、試し、分解する作業を繰り返す。「何百年にもわたって受け継がれたものには時代の集積がある。数値で表されなくとも、万人が心地よいと感じる何かがある。老若男女、さまざまな体型の人々に使われて研ぎ澄まされてきたからです」。
 ウィンザーチェアは民衆工芸の最高峰という点でも習作に値する。物の発展は通常、トップからローエンドに向かい正三角形型で普及する。ウィンザーチェアはそうではなく、庶民生活の中からある日突然生まれた。それが何代もの職人の手で作られ続ける過程で製品の質を高め、最終的には英国のナショナルチェアと呼ばれるようになったのである。
 同様に李朝の家具もさまざまな人々に受け継がられてきた。特に興味深いのは、統一した寸法基準が存在しないことだという。特定のコミュニティ向けで、流通目的では作られなかったためらしい。朝鮮には大木がなく、細い材料を巧みに使わねばならなかった事情もある。寸法に決まりがないので、できあがってきたものは実に伸びやかだ。「製作者は不明ですが、そこに庶民の手仕事としての工芸の真髄があります」。

無心から生まれる絶対美

 池田氏は民芸運動が唱える絶対美を求めた。美の基準は人それぞれの主観により異なる。でも、美しい風景や野に咲く花に出会ったときの感動は一緒だ。こうした絶対の美がモノにも存在すると信じた。「職人が物を作るとき、最初は物のどこかに自我が生まれるものです。それは個性であって絶対美ではない。ところが、数を作りつづけていくとある時に無心になることがある。手は仕事を覚えているので勝手に動きます。すると、作り手の個性が感じられないものが生まれる。そこに絶対美が存在している」。自然に生まれてきた美は誰が見ても嫌だと思わない。
「健全で健康なものは、ユーザーにいい影響を与えます。普段何気なく使っていても、体が気持ちの豊かさを覚えこむのです。」例えば、長年使っている椅子がある日壊れたとする。その時に親友を失ったかのように寂しい思いをさせるものであれば、それは健全な実用美を備えた製品だ。嗜好の変化に左右されず、使えば使うほど愛着が増す。その中に絶対美があるというのだ。これはすべての製品に共通するユニバーサルデザインの本質である。

池田三四郎氏
池田三四郎氏(向って左)は柳宗悦の民芸運動から全人格的な影響を受けた
主用材のミズメザクラ
ミズメザクラを主用材に、 欅や楢などすべて国産の落葉高木を 使用している
楢材を曲げて加工
アームや背の笠木は、 楢材を曲げて加工する
南京鉋での削り作業
微妙なカーブを南京鉋で削る
百種類近くある自作の道具
職人は新しい仕事が出るたびに 道具を自作する。 鉋だけでも百種類近くあるという
組立作業
長年の使用に耐えられるよう、 しっかり組み立てられる
塗装作業
塗装は拭漆とラッカー塗装の2種類。 手塗りで8回以上丹念に塗り重ねられてゆく
喫茶まるも
松本市内の喫茶まるも。50年にわたって松本民芸家具が愛用されている

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