日本から世界まで。さまざまなUD活動を紹介 ユニバーサルデザインの今

ユニバーサルデザインの取り組み事例を3つに分類してご紹介。
街づくり、モノづくり、ヒトづくり。いずれも連関していますが、興味のある分野から、ぜひご覧ください。

2004年アメリカのアクセシビリティ
UDとADAの愛憎関係

UDの認知度が高まるとともに、この思想を取り入れた建築や製品が目立つようになってきた。一方でアクセシビリティとの混同により、バリアフリーと呼ぶべきものも少なくない。アクセシビリティは法律の基準に基づく。数値化が可能である。UDは法的基準を最低限とみなしている。数値化は不可能で、むしろデザインの理想をめざして改善し続けるプロセスといってもよい。今回はUDの生い立ちを理解するために、アメリカで建築コンサルタントを営むかたわら、「ユニバーサルデザイン・ニューズレター」誌を発行するジョン・サルメン氏に寄稿いただいた。
(曽川 大/ユニバーサルデザイン・コンソーシアム研究員 )

【写真左:ジョン・サルメン氏近影】

ジョン・サルメン氏近影

UDとアクセシビリティ

 UDと障害を持つアメリカ人法(ADA)は同じ頃に誕生した。UDという言葉は1988年発行の「コンストラクション・スペシファイアー」誌に初めて紹介され、ADAは2年後の1990年に法律となった。双方とも、身体能力に制限のある人々でも使いやすい環境づくりが目標だった。しかし、その手段は大きく異なる。ADAは公民権法だ。一定の状況においてすべての建物とそのオーナーや管理者に遵守の義務が生じる。多くの経営者や管理者たちは、障害をもつ人々のアクセスについて心から支持していたが、連邦法であるADAが州政府や地方自治体の建築アクセシビリティ基準の上位に重層するしくみを、わかりにくく制限が多い規制だと見なした。  一方のUDはすべての人々が生涯使いやすい環境づくりを目標とする。規制よりも教育をとおしてアプローチしたことが特徴だ。相手は、環境づくりの担い手である建築家やデザイナーである。だが、双方の目的が似ているため、高尚なUDの教育概念はADAの施行をとりまく論争のなかで埋もれてしまう。

法的強制力と訴訟

  ADAの法的効力には、良い面と悪い面があることがわかってきた。身体障害者の擁護者たちは、法的強制力により、使いやすい建物が広く普及することに期待した。しかし、問題はADAの基準(ADAAGとしても知られる)があまりに細かく複雑なことだった。法律に詳しい人が見れば、どのような建物でも違反を発見できる事態を招いたのである。  増加する障害者擁護団体と弁護士が取った策略に、「車での訴訟」と呼ばれるものがある。多くの原告が建物内に入ることもせず、建物のオーナーをADAの違反で訴えたことからこの名前が付いた。最近、建物のオーナーに、誰かが訴訟を起こしてくれるのを待ち、それから必要な改修にとりかかる人が増えている。良かれと思った改善に少々の不手際を指摘され、さらなる訴訟や費用負担を被るのを恐れるためだ。

 ADAは、権利を侵害された市民または米国法務省が建物のオーナーを訴訟した場合のみ、連邦法廷で執行される。建物のオーナーや建築家たちにとって困るのは、責任ある解釈や技術支援を提供するしくみが無いことだ。実際、スポーツスタジアムのオーナーと管理者が法務省のアドバイスにしたがってアリーナを設計したにもかかわらず、2年後に同じ法務省によって法律違反で訴訟されるできごとがあった。

 1990年にADAが施行された際、移動障害の人々はアクセシブルな駐車場と広い間口の出入り口が整備されただけで満足していた。これらが当たり前になったとき、トイレやカウンターといった日常で使う場所がアクセシブルでないことに注意が向けられた。今では、便器とトイレットペーパーホルダーの位置が数センチ遠かったり、カウンターが数センチ高いといった理由で訴訟が起こされている。特に明確な基準が無い既存建築物において、この問題が多発している。

UDの広がり

  興味深いのはここ2年で、UDが建築やデザインとは違った領域で使われ始めていることだ。例えば教育だ。UDの7原則をすべての人々が学べるよう、教育プロセスに適用する試みがある。ユニバーサル・インストラクション・デザイン、またはUIDと呼ばれている。Webデザインでは、情報アクセシビリティを「Bobby」というWebチェッカーで検証できるしくみがある。さらにUDは、連邦政府が情報通信機器を購入する際の判断基準としても用いられている。  

 アメリカがUD発祥の地だと考える人々がいるが、これは疑問だ。UDという言葉は始めて使われたかもしれないが、その動向は20世紀末から21世紀初頭の先進国における公民権や文化、技術、経済の成熟が必然的にもたらした結果である。成熟した社会にとって、身体能力に制限がある人々から人間の潜在能力を引き出すための言葉と方法を探し出すことは避けて通れないことだった。

 我々は、障害をもつ人々が社会の生産的なメンバーになれるアクセシブルな環境を創り出す方が、彼らを社会から隔離した特別な環境の中で維持すべく時間と資金を投じるよりもはるかに費用対効果が高いことを理解し始めている。費用の正当性は、UDの環境が身体能力にかかわらず誰にとっても使いやすいことに気付くにつれ、さらに強まるのである。私は我々全員が生徒であると信じる。我々は、すべての人々が自らの潜在能力を最大限発揮して社会参加できるように資源を有効活用する方法を学び始めているのである。

ADAGG 手すりについての基準より
ADAGG 手すりについての基準より
立ち上がった観客越しの視線。米国法務省は、車椅子の観客が前列の観客が立ったときにでもフィールドまでの視線を遮られないように求めている。
立ち上がった観客越しの視線。米国法務省は、車椅子の観客が前列の観客が立ったときにでもフィールドまでの視線を遮られないように求めている。
トイレットペーパー。わずかな位置の違いがADAの訴訟の原因となる。
トイレットペーパー。わずかな位置の違いがADAの訴訟の原因となる。
縁石カット。この縁石カットは新築の基準よりも傾斜が大きいが、使い勝手はよい。
縁石カット。この縁石カットは新築の基準よりも傾斜が大きいが、使い勝手はよい。
OXOグッドグリップス。UDの優秀事例集「Images」に選定。グッドグリップスは、加齢する消費者のためにデザインされた。
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ボビーの認定マーク。ボビーのロゴマークは、そのWebサイトがUDで障害を持つ人々でも使いやすいことを示す。
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